三島由紀夫 小説

『夏子の冒険』三島由紀夫

夏子の冒険

あらすじ

どんな男が相手でも満足しなかったお嬢様の夏子が、退屈さに愛想をつかし、函館の修道院に入ると言い出す。その道中、偶然見かけた青年、毅の目に情熱を見出し、彼を追いかけると決める。いざ夏子と知り合った毅は、ある目的を持って函館を訪れていた…

※ここからネタバレを含みます

そもそも『潮騒』で一度、三島由紀夫を挫折した私でありますが、『仮面の告白』を読んで感動し、三島由紀夫の虜に。

この『夏子の冒険』は、素直に読みやすかったし、「え?こんなコミカルな作品書くの?この人!」という別の発見もありました。三島由紀夫って命の終わらせ方含め、周知の通りナルシストのイメージばかりが頭にこびりついていて、こんなウィットに飛んだ文章を書く人だなんて思ってもみなかったのです。
普通に考えれば、これだけ言葉を巧みに操る人なわけだから書けて当たり前なんですが。

物語は、修道院に入る!と突然言い出した夏子が函館に向かい、毅と出会い、見送りに来ていた母と祖母と叔母をまいて毅を追いかけていくところから始まるのだけれど、途中からは夏子と毅、それを追いかける母、祖母、叔母の三人、またそこに加わる毅の友人といった感じで色んな人と交わりながら進んでいく。
毅は昔、アイヌ地区に住んでいた恋人を殺した人喰い熊を打ち、仇を果たすという無謀な目的を持っているのだけれど、その目的が、これまで何にも誰にも退屈していた夏子の魂の火を更に強くする。
夏子と毅のハイソな駆け引きに対し、夏子の母たち三人の珍道中的な忙しない追いかけっこが微笑ましくて、ちょっと鬱陶しくて可笑しい。

分かりやすいストーリー展開と、面白おかしいやりとりの中でも、三島由紀夫がすごいなと思うのは、ご存知の通り、圧倒的な文章の美しさ。誰もが見たことのあるような場面を、どうしてこんな言葉で言い表せるのだろうと感動する。

ひとつひとつ額に入れて飾っておきたいくらい。
特に素晴らしいと思った部分をいくつか紹介します。

「木漏れ日はその濡れて光った白い素足に、レエスの靴下を履かせていた。」

これは牧場で、夏子と毅が出会った不二子という娘が、河原で髪を洗った後、素足を苔むした岩に置きながら、太陽で濡れた髪を乾かしている場面。
透き通る冷たい水の上で、天から降る枝葉の影が、娘の足に作る影が見える一文。レエスの靴下を履かせるなんて、キザでカッコつけた表現のようにも思えるけれど、そんな風に木漏れ日の影を見ることが出来たら、この世はもっと美しいだろうなあと全身から力が抜けた。

「それはまるで彼の体に融け込んでくるような柔らかでいて大胆な接近である。」

物語の最初、夏子と毅が函館山の頂から街を見下ろす場面。夏子が毅に寄り添い、毅に泊まっている場所の説明を受ける。
「どこ?」と寄り添った夏子の仕草から、夏子の冒険心の強さや、自信や、人懐っこさ、初デートの相手を気遣う慎重さが感じ取れる。
毅の方も夏子に、本能的に惹かれていることも”融け込んでくるような”から察することが出来る。

「目の中に星が落ちてくるようである。口の中にその熱い滴がしたたったくるようである。」

北海道の広い夜空の下で、歩き疲れた二人が毅の強引で接吻する場面。夏子は唇を奪われながら、密かに星空を見上げるわけですが、この一節がロマンチックでたまらなかった。若いふたりの情熱が溢れ出るようです。
熱い滴とは、接吻中の粘膜同士の表現とも取れるけれど、文章の流れとしては、星の輝きそのものを接吻に重ねたともとれる。私の感覚では、星は熱いものというよりも、冷たくひんやりしていて、暑い夏でも星空を見上げると、すっと身体が軽くなるようなイメージが強かったので、一線を越さないふたりの若さが星までも燃やしているように感じて、照れ臭さえありました。
どこを切り取っても美しいのがすごいです。

そしてこの夏子の冒険は、一筋縄では終わらず、ラストに予想外な展開が待っています。えー!とある意味嬉しいような、期待通りのような驚きが待っているので、これもこの作品の楽しいところ。

主人公の名前の通り、北海道の清々しい夏が感じられる、ガーリーな小説でした。