映画

『君の名前で僕を呼んで』call me by your name

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2回目、鑑賞してきました。
ネタバレを含みますのでご注意を。

オリヴァーが若干17歳のエリオに「きみはすごく難しい」みたいなことを言うシーンがある。ふくらはぎから下を、川の冷水に浸し大人の男が着実に、確実に大人になろうとしている少年に、君は複雑だと口にする。エリオはそれを罪に感じたかもしれない。こっちの台詞だ、とも。 エリオはオリヴァーに近付き、態とらしく無邪気な笑顔を作ってみせる。 口に出すか、死ぬかを問われた時、「僕と同じことを考えてる?」と聞けば、イヤイヤと照れ臭そうに体を左右によじる。 やっとたどり着いた夜明けに、全てを否定するかのように大きな手を振りほどく。振り返り微笑めば、心底ホッとしたようなオリヴァーがいる。

ティモシーシャラメが素晴らしいのは、彼の細い身体やガニ股な歩き方、滑り台のような首、白い肌に生えるオリヴァー(アーミーハマー)とは対照的な黒い睫毛に、その若さ故の複雑さや今にも壊れてしまいそうな自尊心、決壊するように溢れる昂奮が宿るから。 躊躇いながらも新しい世界を見ようとする葛藤を唇だけで表現するから。 ピアノの演奏にも生意気さは表れ、君が知らないことは無いと言わせる博識さにも、常に不安がつきまとう。何も手に入れられないかもしれない恐怖、手に入れたら失ってしまう恐怖を自慰で文字通り慰める。

「君の名前で僕を呼んで」 このタイトルの意味、彼らが自分の名でお互いを呼び合う様を、完璧に手に入らない恋をした時、相手になりきることが究極の愛情表現、愛する方法そのものであるとレビューで読んだ。 ストンと私の中に入ってくるような答えだった。 実際、自分にも同じような感覚があるのを否定できない。 私は女だけれど、好きな男性俳優の髪型やファッションを真似る。 男になりたい訳ではない。自分の好きなものそのものになりたい。全てが手に入らないのならいっそ同化してみたい。 あの凹凸のない滑らかでガサツな身体が、他の何よりも美しく感じる事がある。自分の柔らかささえ忌々しい。 果たしてエリオはオリヴァーになれたのかな。 私たちは一生自分から抜け出せないまま、誰かを愛するのか。 誰かを愛するのに、また別の誰かを利用し、利用され泣かなければならない。 完全にふたりだけになれるのは、真夜中のバルコニーでエリオが猫のようにオリヴァーの懐に滑り込むその一瞬だけだと知る。 オリヴァーを下から見上げるアングルは、その肌を覆う金色の毛を太陽光が吸い込み、ふっと消えてしまいそうな胸騒ぎを含んでいる。

ふたりが離れる瞬間はあっけなく、1回目では随分物足りなさを感じた別れを2回目でやっと理解出来た。オリヴァーはずるいかもしれない。後悔してほしくないなんて、そんなの言われたくなかった。私の中のエリオが泣く。 イタリアの自然に溶け込むようなセックスも、エリオに起こる身体的現象も、私には眩しくて羨ましかった。I’m nervousと言えるエリオが憎い。17歳の正直さは時々ライオンのように牙を剥き、吠えた。 もうあの頃には戻れない。 これは戻れない私達へ憐れみのプレゼントだろうか。ムカつくけど、賞賛せずにはいられない。 すごく良かった。 何ひとつ、忘れない。