映画

『ハッピーエンドが書けるまで』Stuck in love


※ネタバレあります

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ローガン・ラーマンが好き。ウォールフラワーの時よりも大人になって少しふっくらしたローガン。作品紹介でナット・ウルフが出ていることを知り更に観てみようという気持ちになる。この時点でリリー・コリンズには興味がない。眉毛の太い可愛いセレブ。

ありきたりな初恋とか失恋とか、浮気とか離婚とか。わたしにとってこの映画の非日常は、父親が作家であることや、主人公の女の子が作家デビューしたこと。ビーチに家があること。

きっと後から冷静に考えれば、浮気現場を目撃してしまった母親への嫌悪と、自分の祝いの場へ会いたくない母親を呼んだ彼氏への怒り、父親から昔のエピソードを聞かされて母親を許すところも自分に置き換えた場合どうなるかはわからない。そんなに怒る必要もない気がしたり、はたまたそんな簡単に許せない気がしたり。

この間、久々に兄と会った時にこう言ってた。
「親って1番気を使う存在だ」って。
その通りだと思う。何より愛情があり時にうっとおしく、切りたくても切れなくて、許したくなくても許してしまう厄介な人たち。でも泣きたい時は母親へ電話してしまう。泣いているわたしを子供に戻してくれるのはあの人たちしかいないからだ。生きるのは面倒だけれど、あの人たちが生きている限りは一生懸命生きていたいと思える。

そんな複雑な家族への感情は人それぞれ。映画の中のサマンサが持つ家族感(?)も、弟のラスティが持つものも。はたまた男と女として現役まっしぐらの両親もだ。
だからそこの感覚や価値観については、気にしないことにした。単純に感じたことを書きたいと思ったから、長々メモ機能にこんな朝方に書いてる。こうやって書きたくなる映画は久しぶりかもしれない。最近観た中では、シング・ストリートやリリーのすべてとかも号泣しながら観たし何だったらこれより泣いたけど、違うんだよね。こうなんていうか、背中側から心臓をゴツゴツやられた。ほら、大事なものに気付けって言われてる感じ。
恋愛も書くことも家族も、この映画のテーマとなっているものは、わたしにとってすごく重要だからかもしれない。

まずナット・ウルフがキュートでびっくりした。パロアルトストーリーで花瓶の水飲んだり、女の子にフェラばっかさせてた男の子と同一人物とは思えないほど、透明で脆くて消えそうなロウソクの火みたいな、でもちゃんと次の着火場所分かってるみたいなそういう、とにかく美しい男の子を彼は演じてて、最初にどこかで見たことある子だなって思って、でもフィルマークスでキャスト見ても1番下に名前があったから気付かなくて、あれ、これ誰?状態。ちゃんと調べたら、ちゃんとナットウルフだった。すごいよね。知ってるのに誰だか分からないなんて、彼はラスティ本人になってるってことだし、ませてる不良少女に恋に落ちたり、彼女を守ったり、親に見つからないか心配しながらセックスしたり、彼女の悲惨な姿見て嗚咽したり、そのどれもが本当にリアルなラスティだった。

何より憧れのスティーブン・キングから電話が来たシーンなんて最高だったけど、最高に高揚したと同時に、わたしはこれまでの自分の人生を恥じた。思いがけない電話で、言いたいことや伝えたいことがありすぎるのに出てこないみたいな、そんな存在が自分には果たしているんだろうかって思ったから。男とかじゃない”運命”に出会ったことあるんだろうかって。
本は読まなくはないけれど、読んでるとはとてもじゃないけど言えない。映画も観てはいるけれど人並みだ。授業中に夢中で読んだ東野圭吾から電話が来てもちょっと興奮するくらいだろうし。何処かに東野圭吾を何十冊も読むなら三島由紀夫読めみたいな一文があった。でも東野圭吾読んだっていいよ面白いもん。そこから松本清張読んだり村上春樹読んだりしたし、村上龍は変態すぎてついてけなかったし。石田衣良は脚と暮らしてた。取っ掛かりとして東野圭吾ありだと思う。

話逸れた!
だから私にはラスティにとってのスティーブンキングがいないってことなんだよ。それが本当に悔しかったし28年間何やってたんだろって。そういえば、友達が小さい頃ハリーポッターが好きすぎて、読み進めるのが悲しいほどだった、読み終わるのが嫌だったって言ってた。そんな本に出会えているのが羨ましい。小学生の頃、夢水清志郎シリーズとかハマったけど作者の名前も覚えてない。ファンタジーアレルギーなところがあるから、ハリーポッターは原作は読んだことないし映画も中途半端にしか観たことない。ネヴァーエンディングストーリーこと「果てしない物語」下巻に挫折したあの日からファンタジーを避けて生きてる。もったいない、いつか再チャレンジしてみようかな。
だから!!私は今からとにかく、何としてでもそういう存在を見つけなければならない。それって物凄く重要なことじゃん。本も映画ももっと観なきゃなんない。じゃないと最高の冒頭は書けない。クローゼットで初体験しようなんて言う可愛い女の子のことも書けないよ。

そんでもってリリーが演じてたサマンサの恋愛観、両親を見て誰かを愛することに希望を見出さなくなった結果だろうけど、半分わかって半分わかんなかったり。ローガンはウォールフラワーでも、サム!って言ってたよなあとかまあそんなことは置いておいて、だって誰だって永遠に誰かに愛されて自分も愛して盲目なまま死にたいと思ってるのに、人は浮気するし二股かけるし、お金に目がくらんだりするし、外側が好きなのか中身が好きなのかもわからなかったりして。

傷つくのが怖いなんてみんな思ってるのに、傷つかないように生きるって結果としては傷ついてることになるんだよね。声かけたくても邪険にされるのが恐くて諦めたら、勇気を出した側の人間に負かされ傷つくし、言いたいことを我慢してその場をやり過ごそうとすれば、ずっとその後もそれに縛られてギシギシ傷つくし。だから私はクソ男にはクソって言ったけど、会いたい時はちゃんと会いたいって言ったぞ。でも次からはもっとハッキリ暴言も吐いて好きだってことも言おうと思う。あんたはクソだけど、でも好き!!みたいなの、一番最高でしょ。

なんかまた結婚から遠のくような自論ができちゃったけどいいや。以下

・とにかく何でもいいから愛するものを見つける。本も映画もつまんなかったら止めて次。時間がないから膨大な量の作品から運命のものに出会う。運命の人に出会う。
・傷つくのを恐がってないで思ったことを相手に言う。クソでも愛す。
・家族を愛す。
・仕事はある程度までやったらやめる。人が作ったものを宣伝するのに人生は費やさない。自分が作る。書く。


以上。「ハッピーエンドが書けるまで」って邦題ダサいなって思ったけど、何か結果よかった。
あ、リリー・コリンズは可愛かったよ。スタイルがよすぎないところも真っ黒な髪もステキだった。でも「あと1センチの恋」は観ない。笑

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