小説

『さよなら渓谷』吉田修一

最近、吉田修一さんにハマって、この人の本ばかり読んでいます。
・悪人
・怒り
・最後の息子
・東京湾景
・パレード
・横道世之介
・春、バーニーズで
・犯罪小説集
・7月24日通り
・愛に乱暴

今まで読んだのはざっと思い出すだけでこれくらい。
どれを読んでも面白くて、この人ほんと天才だなと。
まだまだ作品があるから、いつか全制覇したい!

今回の『さよなら渓谷』も、槙よう子さんで映画化されてる有名な作品。
映画はみていないので、予備知識なく文庫の裏の概要だけを読んで、購入するか決めました。

あらすじ

都心からほど近い山間の景勝地の渓流で幼い男児の遺体が見つかり、間もなく男児の母親・立花里美が殺害容疑で逮捕される。事情聴取で黙秘を続けていた里美が、隣人の尾崎俊介と肉体関係があったと供述を始め、俊介の妻・かなこもそれを裏付ける証言をする。記者の渡辺一彦は、事件を取材するうちに尾崎夫妻の暗い過去にたどり着く。尾崎は大学時代、野球部のエースとして将来を嘱望されていたが、夏休みのある日仲間らと共に集団レイプ事件を起こす。そんな過去を持つ尾崎に対し、なぜか完全に否定的な気持ちを持つことができない渡辺は、同僚の小林と共に事件の周辺を洗いなおす。そこで明らかになったのは、事件の被害者である水谷夏美が自殺未遂のあと行方不明になっている、という残酷すぎる事実だった。

Wikipediaより一部抜粋

※以下ネタバレあります

人間性を表す描写

吉田さんのすごさっていうのは、ここだと思う。そしてその凄さの重要なポイントは、「わざとらしくない」っていうこと。
人間がとるべき行動、それはなぜ犯罪を犯したかとか、なぜこの人間に惹かれたのかとか、そういう大きなくくりだけでなく、小さな仕草や細かい言動に自然な意味を持たせ、そこからその人間の本質や弱点を汲み取らせるすごさ。この作品では、渡辺という元ラガーマンの雑誌記者が、自分の学生の頃のツテを使って、十数年前に大学の野球部で起きたレイプ事件の詳細を関係者に話を聞きに行くのだけれど、この関係者も渡辺と同じく昔から野球だけに打ち込んできたスポーツマン。
レイプ事件の主犯である尾崎の年表を手渡す際、どうしても一枚に印刷できず二枚になったと言い訳をしながら渡辺に差し出す。パソコンの操作が苦手なんだろうなと分かる一節ではあるけれど、それ以上にこの男の恥ずかしさや決まりの悪さが文章から伝わってくる。
人間は場所と環境が変われば、立ち位置がガラッと変わる。スポーツや部活しかやってこなかった者の、その世界からはみ出した時の戸惑いが、この場面からは手にとるように分かるし、またその反対も然り、力の有り余った男たちの圧倒的な自信と振る舞いが、「嫌がってるとは思わなかった」と尾崎が供述する言葉からも伝わる。

自分の中にある差別意識

恐ろしいと感じたのは、私は男でもスポーツマンでもないし、何ならそういう世界とは無縁に生きてきたはずなのに、彼らの行動を完璧に咎めることができなかったこと。
ナンパについて行った女の子が悪いわけではない。もちろんめちゃくちゃに恐ろしかったはずだし、その曖昧な一線を越える時の、超えてからやっと気付く恐怖も分かる。
二十歳くらいの男の性欲と、それが大きな身体を支配する力はもしかしたら本人でもコントロールできないものかもしれない。この犯人たちの、悪気のない行為がエスカレートしていく様子が本当にリアルで、この世にある性暴行の被害は、こんな曖昧な始まり方なのかもしれないと思ったほど。
でもここで、渡辺自身が幼い頃に見たという母親を取り巻く男たちの様子にも注目したい。彼らはパブのママである母を胴上げして、カラオケを歌うように強いていただけなのだけど、渡辺は母親の恐怖心を歌声から感じ取った。
女は体の大きな、力の強い男の前では無力である。
それが直接的な暴行でなくとも、ふとしたことで恐ろしいと感じることは当たり前だし、正常なこと。取り囲まれるだけで、怖いと思うのが普通。
だからこそ、男が力の弱い女への配慮を忘れてはならないのだと思う。
私は読んでいる間、渡辺の気持ちになって事件を追ってしまったせいか、容疑者である尾崎に完璧な嫌悪を抱けなかった。でもこれは本来間違いであって、世の中に存在する性犯罪において、被害者側に責任を押し付ける傾向にある根深い原因なのだと自分で感じたし、見方を色んな角度からに変える必要があると内省した。

周りの目に強いられる立場

そして、こういうセンセーショナルな事件が起きた時、その被害者や容疑者に対する世の中の目が、ずっと被害者を被害者であらせ続け、容疑者については多くの場合その罪をなかったことにさせる。
尾崎は自分のしたことと、自分を取り巻く環境のギャップに耐えられなかったが、同罪の後輩のように、罪をなんとも思っていない犯罪者の方が多いのだと思う。そしてのうのうと自分の人生を生きる。
対して被害者は、ひどい扱いを受けた女として、どこに行っても好奇の目にさらされ、恋した相手には、汚れていると罵られる。どう考えても周りにいる人間がおかしいのだけど、これはきっと現実によくある話なのだと思う。
今の日本では、被害者の名前ばかり報道され、容疑者の名前は未成年であれば伏せられ、被害者側が二次被害を被る流れが出来てる。
この作品はそういったことへの問題提起でもあるなと感じた。

行き場を失った被害者と容疑者が同棲してるというストーリーは、衝撃的で違和感のあるものだけれど、それを否定はできない。ふたりがもし本当に愛し合ってるなら、もう一度あの夜に戻って、彼らに時間を返してあげてほしいと思う。

糸のような一線を越えるのはすごく簡単だからこそ、いつも相手のことを考え、思いやり、慎重さを持ちたい。自分の身を守る術を身につけたい。決めつけられた印象ではなく、自分自身の目でその人を見たい。
その一線は暴行や犯罪行為だけではなく、普段の生活の中での数ある境界線だと思う。そこを越えるか否かで、何もかも変わる脅威を心に留めておきたいと感じた。

今度は映画も観てみようと思います。

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